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東大寺「観音院さん 」上司海雲 文化サロンにて交流された会長さんの所蔵品 遺品整理 査定依頼 ご紹介に感謝します。 信頼と実績


鎌倉時代 経断片 須田剋太 観音菩薩など

仏教美術を 中心とした収蔵品
しっかり査定させてもらいました。

日本最古の版画といわれる摺り佛

京都にて 東大寺の由縁の品などが 多く古材などの木材や古瓦など しっかりとした収集でしたので 依頼主と雑談しながらお話しに花が咲き いろいろ話しているとなるほど 上司海雲和尚と親交のあった 会社 会長さんのコレクションだとの事でした。なるほど どうりで筋の良い物が 多いと思いました。

今回 ご依頼頂きましたのも 以前 買取依頼でお世話になった方のご紹介だと教えていただきました。
とてもありがたいご縁に 感謝です。

古常滑や古信楽などの壷も海雲和尚の見立ての物で 自慢の壷だったとお話しくださいました。


当時の海雲和尚の文化サロンとは どういったものだったのだろうと とても興味深い話しを たくさんありがとうございました。


上司 海雲(かみつかさ かいうん 1906年(明治39年)2月15日 – 1975年(昭和50年)1月25日)は昭和の華厳宗の僧侶。第206世東大寺別当(住職)。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。
東大寺塔頭持宝院に生まれる。1930年、龍谷大学英文科卒。一年志願兵で野砲22連隊に入隊。また太平洋戦争末期に召集され朝鮮に派遣される。1939年、東大寺塔頭観音院住職となる。東大寺学園中学校・高等学校校長、東大寺執事長、華厳宗宗務長等を歴任。1972年華厳宗管長・東大寺206世別当となり、開祖良弁上人の1200年忌を営む。東大寺大仏殿の昭和の大修理のために尽力したが、1975年、任期途中で癌で死去。事業は後任の別当・清水公照に引き継がれた。

文学・芸術を愛し、奈良で文化人のサロンを形成したことで知られる。はじめ、1925年(大正14年)に奈良に移住した志賀直哉(小説家)を中心としたサロン(高畑サロン)が形成され、上司も出入りしていた。志賀が一ヶ月ほど上司の観音院に逗留したこともあったという。

1938年(昭和13年)、志賀が奈良を去ると、残されたサロンを上司が引き継ぐ形となった。杉本健吉(画家)、会津八一(歌人・早大教授)、入江泰吉(写真家)、須田剋太(洋画家)などが出入りした。東大寺観音院の住職だったので「観音院さん」として親しまれた。杉本健吉は一時観音院のなかにアトリエを設けることをゆるされ、東大寺や奈良の街角の風景などを描いた。

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